藤田嗣治


私は、世界に日本人として生きたいと願ふ、
それはまた、
世界人として日本に生きることにも
なるだらうと思ふ。
      藤田嗣治「随筆集、地を泳ぐ」(1942年)より


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次女が来ていて、送りながらと言うか、夫が行きたくて、行きたくて
東京へと出かけた。
初日は大国魂神社へ、次の日電車で
都の美術館へ出掛けた。
没後50年藤田嗣治展へ、戦前、戦中、戦後
それぞれその時々違う画風で、
以前秋田の美術館で見た大きな絵と同じ作者とは思えなかったり、 
白い陶器の様な女性たちばかりの絵でもなく、
様々な絵が展示されていて、圧倒されっぱなしでした。
今回初めて戦中の絵を2点を見たが、(作戦記録画と)
思っても見なかった絵に、
戦後、フランスへ行ってしまい2度と戻らなかった
レオナール藤田の大きなさびしさを知りました。

戦後は宗教画で仕上げだったようです。

右の絵は1949年パリ行き前のニューヨークで描いた「カフェ」、
描かれている後ろは全部パリと、黒い衣装の女性素敵です。



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8/23
朝日新聞天声人語で、私が触れた戦中の絵、藤田嗣治展の「アッツ島玉砕」
を題材の一つにしていた。
この絵は陸軍に献納され戦意高揚に使われた。と。
戦後手のひらをかえすよう批判された。時代に歯車を狂わされた一人であろう。と書かれていた。

戦前フランスで描かれた乳白色の陶器の様な裸婦の女性達、
無垢な藤田画伯の最大の作品、最高の作品でしょう。
でも、秋田の美術館の大きな絵も素晴らしい。
色々な画風、作風、沢山の絵が残されています。